FC2ブログ

感情の歪曲

熊本の震災被災地にわざわざ遠くから自動車で乗り付け、空け放しの民家に侵入して強盗を働くという事件がございましたね。聞いてるだけでも怒りがこみ上げるような腹立たしい醜い事件です。ボランティアで関東から駆け付けた心正しい人々とは対照的に、同じ人間として情けなくもありますね。

しかしだからといって、報道を観た我々が心に怒りを生んではなりませぬ。こういう場合は「放っておく」というのが正しい心の有り方です。私も他人には「とんでもない人間もいるもんだ」とは評価しますが、実はそんなのはどうでもいい話なのです。それよりも、自分はここまで落ちぶれないよう注意して生きようと改めて自らを戒めるべきなのです。こういう徳の低い感情的な人間になってはなりません。

我々が人間に生まれて来れたのは前世で善行為をして徳を積んだからです。犬だったのかもしれません。ミジンコだったのかもしれません。心の修行ができるのは人間だけです。その、人の不幸を利用して強盗を働こうなどと下らないことに頭を働かせるような人間は、せっかく人間に生まれてこれたチャンスを棒に振ったのと同じです。我々は、この世を楽しく生きるために心を正しく育てなければなりません。

あの世の事を仰る宗教もありますがね(笑)死後、幸福になりましょうなんて空気を掴むような頼りにならないお話しです。正しくは今すぐに幸せになりましょうです。そのためには自分の心を観察するのです。あぁ、自分は今怒っているなぁ、イライラしているなぁ、と観察することが唯一の方法です。それが私の言う心の修行です。それをやらないと、我々無知な人間は感情的な生き方になってしまいます。その間違った生き方は必ず失敗という終点に行き着きます。

合理的に生きなさい、ということです。例えば、社会にはどうしても、あなた方の嫌いな相手がいます。私にももちろんおります。この時は、「あぁ、私はこの人を憎んでいるなぁ」と、ちゃんと気付いてください。その自分を第三者として、冷静に観察するのです。こうすれば感情的にならずに済みます。

昨晩、晩飯を食べている時、育ち盛りの上の娘はトンカツを食べておりました。近くのデパートのテナントで販売しているトンカツで美味いんですが、私は少々飽きておりましたので、私のオカズはミートボールでした。娘が、
「ミートボールひとつちょうだい」
と言いますので、一つあげました。私は、これは娘の心の教育をするチャンスだ!と思ったのです。その直後、
「じゃぁトンカツを一切れくれ」
と私が言うと、
「…うん」
と、やや渋りながら一切れくれます。しばらく沈黙したまま飯を頂きます。やっぱりな、と私は思いました。
「今のは不公平じゃなかったかい?」
と娘に訊くと、「じゃぁもう一個もらう」と、もうひとつ私のミートボールを取りました。
「ちょっと待て」と私は言います。
「お前は今、割に合わないと思ったんだろう?」
と続けて聞いたら、
「いや、私はミートボールが好きだから」と応えました。
「そこがお前の欠点なんだ」と私は優しく諭します。「お前は割に合わないといった感情を、好きだからという言葉に置き換えて自分の感情をごまかした」
と話したところで、娘は急に涙をボロボロこぼしはじめました。

「感情をそのまま受け入れなくてはだめだ。人を憎んでいるのに、私は悲しいと、感情を置き換えてごまかしても、お前はちっとも前に進めないんだからな。そんなことでは日々起こる心の問題を一つも解決できないまま大人になっちまうぜ」
傍にいた嫁は、
「食べている時に泣かさないでよ」
と私を責めます。
「だね」
と、思いました。真実は心に痛いものです。この娘は自分がなぜ涙を流しているのかにも気付いていないことでしょう。心の汚れが落ちている時なんですね。心の汚れが落ちる時、自分でも訳の分からない涙が落ちるものです。私はひとり嬉しく思いました。

「分かったな。自分をごまかしてはいけないぜ」
と、私は娘の膝をポンポンと軽く叩き、Digaに録画していた[おそ松さん]を観ました。銭湯でチンコだけを出して、六つ子の内誰のものかを当てっこしてる様を観て爆笑してしまいました(笑)。











コメント:
SBJokerさんへ
SBJokerさんのスケジュールに合わせますので、GTA是非やりたいですね(^^)
メールでご都合の良い日を教えてくださいませ☆

僕の方はダウンロード版なので、
インストールに半日かかりました(苦笑)
by: クロッコ * 2016/05/05 12:03 * URL [ 編集] | TOP↑
クロッコさん kazunさんへ
私にとってkazunさんは大切な善友です(笑)個人的によくメールをくれます。このようなやりとりはよくやっているところを、たまたま、公にさらしているだけなのです(ちなみにたかよしさんとは、kazunっさんがメールで敬意をこめて私を呼んでくれている本名です)大切な彼を褒め散らかして、適当な愛想で満足させるのは私の最も得意とするところです(でしたというべきですね。今は真逆で、愛想をつくくらいなら沈黙を保ちます)が、私は友にその場限りの嘘の安らぎは与えません。裏切らないということです。
もっとも言い合いをしている認識はございませんが、真理には身体が拒絶反応を起こすのも当然なのです。
「真実とは痛いものだろう?」と、娘を泣かせたのも、心が汚れているからです。
よろしいですか?kazunさんは、私の善友です(笑)
もともと清らかな彼を、完成させるのは善友である私のお仕事です。

ところで、約束、いつか果たしましょうね☆私、すごく楽しみにしているのです。ちょっとね。、マイクのテストとかしなきゃいけません。お気をつけてですね☆






by: SBJoker * 2016/05/01 17:37 * URL [ 編集] | TOP↑
SBJokerさん、kazunさんへ
SBJokerさん!kazunさん!どうか仲良くして頂きたいです。。。
僕は何の知識も無い無能な若造なので説得出来る立場ではないかも知れませんが、、、
せっかくこうして共通する世界があって知り合う事が出来た事ですし、
許し合う事も大切かなと思います。。。
by: クロッコ * 2016/05/01 17:00 * URL [ 編集] | TOP↑
kazunさんへ
こんにちは☆
あらら…たかよしという名が露わになってしまいました(笑)
ところでどうですか、良い名前でしょう。親孝行するように名付けられました。さて、どうかな…(笑)

いいえ、食事の時間に限らず、何をするにも楽しく生きなくてはなりません。心身を悩まし苦しめ、煩わせ、けがすものが食事、あるいはその時間ではなく、貪瞋痴(貪瞋痴)に執着した、だらしのない生き方が本人を苦しめる、という事です。
食事に関して言及すると、我が家の食卓は案外に静かです。しかしそれは雰囲気が暗くて、どんよりと静かという事ではございません。我が家は日頃から時を選ばずに会話がございますので、食事時だから特に改まってどうこうという感覚がないのです。

私は食事中、静かにしろとも、作ってくれた農家やママに感謝して食べなさいとも言いません。感謝は自分の心の中に発見するものです。言いふらす程のものでもございません。テレビを観ながら食べようが、宿題をしながら食べようが、一向に構わない家庭なのです。さすがに宿題をしながらとか、本を読みながらの食事は嫁が注意していますが、私は何も言いません。信念を持って、自分が物を食べながら本を読んでいるのなら、立派なもんだとさえ思います。
私が父親として、娘達に敢えて言うなら「君たちが自分の作った手料理を他人に食べてもらいたい態度で、君は頂きなさい」です。

私の育った家も、警察官だった父が非常に厳しい男でしたので、正座と沈黙は必須でした。笑う事も禁止なうえ、皆が食べ終わるまで席を立てないのは辛かったです。しかし本来、食事を黙って頂くのは正解です。普段から、そのおかれた環境にコミュニケーションが成立していれば、食事時に喋って穏やかな雰囲気を作る必要はないのです。食べているんだから、食べる事に集中するのが本筋です。
食事時にしか家族が揃わない、といった言い訳もございましょうが、だからといって食卓は親睦を確認し合うステージではございません。

ただ、皆が怒っていて、雰囲気の悪い食卓は問題です。それは別の問題です。

なにせ、食事は有り難いものですが、身体が壊れないように維持するために頂いているにすぎません。生きている間は心を成長させなくてはならないのです。ただし、これは命に執着することではございません。死にたくない、生きていたいといった気持ちで食事をする人も稀でしょうが、この「死にたくない、生きていたい」という感覚も煩悩です。命に限らず、執着を悉く滅することが悟りです。その悟りを開くまでは、今の時代に生まれた身体をできるだけ維持しなくてはならないのです。

ところで、私は宗教家ではありません。それらしい着物やしきたりなど興味もございません。日本にある権威ある何宗だかの仏教も、私に言わせれば如何わしい新興宗教です。ツボや掛け軸を買わなければ地獄に落ちる、私を崇めよ、お布施をしろ、なんて脅す宗教など、話にもなりません。

私が話している生き方は、お釈迦さまの説かれた、純粋な上座仏教なのです。これを自分の都合の良いように勝手に解釈したのが今の仏教です。私は、お釈迦様の教えは真実だ、と気付き、その生き方を実践しようとしている、ただの無神論者の男です。

いいですか?あらゆる宗教は無知ですから、死後、天界に生まれる方法を説いています。またそれを最終目的としています。あのですね、天界も存在なのだから苦なんですね(苦笑)  存在苦からの脱出をお釈迦さまは教えているのです。それが悟りの境地なのです。今生きていながら到達できるのです。訳も分からず我々が死を恐れるのはなぜだか分かりますか?それはこれまで何万回と輪廻を繰り返しているから、我々は潜在的に死を知っているのです。忘れているだけで、我々は死を幾度も経験しているのです。赤ん坊が生まれてすぐ泣くのもこういう事情があるからではないですか?死んだときの感情をそのまま持って生まれてくるのでは?なんて、いかにもスピリチュアル好きの飛びつきそうな話ですが、この世の占いやスピリチュアルはすべてインチキですのでよろしく。でも、信じようがまいが、どうでもいい話です。

この輪廻からの脱出が悟りです。執着がないのだから輪廻から脱出できるのです。輪廻とは、死にたくない、生きていたいといった心のエネルギーです。我々は輪廻を繰り返しながら、いつか悟りを開くのです。早い方がいいのですが、貪瞋痴を楽しいと勘違いしている人には、ただ煩いお話しです。
私の話で「あ」となった方は、本当に苦しんで生きてきて、金も名誉もいらん、心の平穏をくれ、怒るのはもう嫌だ。という人です。私はその方に話しています。

また、勘違いしていらっしゃる方がほとんどなのですが、心は魂ではありません。魂は、生に執着した古代の人間が都合よく拵えた、恥ずかしい概念です。魂は21グラムだとか、人は魂の大きさが違うから、人は人にしか生まれ変わらないなんてのも、人間を優位にしたがる都合の良い概念に過ぎません。みんなこんな概念には疑わず、そうだったのか、そうだよね、と納得するのです。都合がいいもんだから(笑)

生命は生命です。その差別を好む心が貪瞋痴なのです。犬と人間は、何が違いますか?本当に違うと思いますか?いいですか、家の中にいるゴキブリは、長い輪廻の中で、かつて人間であった時、あなたより高い徳を積んだ可能性があるのです。そのゴキブリの輪廻が、次は人間に移り、悟りを開くかも知れないのです。人間は偉いと勘違いしている今の心は、さて、今度はどこへ行くのでしょうね(笑)

話を戻します。
さて、ディズニーシーでの、母親とおじさんであるkazunさんとの口喧嘩を、可愛い姪は、どんな表情で見ていましたか?
遊園地では楽しい会話をすべきだとは、kazunさんの正義です。kazunさんは、間違いなく自分は正しいと思うのは当然ですが、姉も、自分が正しいと思っているのです。言い合いになるのは分かっていた筈です。

kazunさんはおそらく、場の雰囲気を壊されたから怒ったのではありません。可愛い姪との時間を茶化されたことに怒っているのです。自分が低く見られている、軽視されたと思ったのです。姪は可愛い、しかし、母親には勝てないといった自覚が当然あなたを苦しめたのです。可愛い姪の気持ちを本当に思うのなら、喧嘩をすべきではありません。子供の柔らかい眼に、憎しみの表情を映してはなりません。

kazunさんには、姉はどこか完成されているといった嫉妬があるのです。しかし、それは煩悩です。姉には姉のやり方があるのです。kazunさんには独自の方法があるのです。「自分が正し」VS「自分が正しい」は、そもそも火種がないので解決しないのです。姉もあなたも未完成な人間なのだから、私の話を聞いたkazunさんが大人になって、一歩引かなくてはなりません。これは負けではないのです。そもそも勝負とはくだらないものです。そして、姪さんの肝心な時、とっておきの一言を放てる徳の高い男になってください。他は放っておいて、姉の育てたいようにさせてあげるべきでしょう。そんな徳の高い男は親戚の中でも目立ちます。大きくなってゆく姪も、ここぞといった判断はあなたに委ねるようになります。アトラクションの前で、対等に喧嘩してる場合ではございません。

また似たような状況が訪れます。こう思うのです。
「姉の教育方針はかようか。でもここが間違っているな。さて、姪が穏やかな心で世を渡れる方法は…」

です。力のある一言を放てるように精進してください。姉の事も、良いところを発見するつもりで見てください。女性は感情的です。人は合理的に生きるのが正しいのです。相手の話を終わりまで聞いて、自分に、相手に、世の中の役にたつ一言を放てれば、kazunさんは親戚の中で最強になります(笑)

あなたはもう頑張っています。だから頑張れ、とは言いません。いいですか?どうしたらこの世を楽しく穏やかに生きられるかな、です。
by: SBJoker * 2016/05/01 16:10 * URL [ 編集] | TOP↑
おはようございます。
国語は常に2の男なので、たかよしさんからの返信を理解するのに時間がかかりました。
仏用語等を用いた返信に少しでも勘違いしていたらごめんなさい。
たかよしさんの食事とは笑顔で会話しながら、食べ物へ感謝の気持ちを持ちながら味わう、そして家族や仲間とその時間を楽しまず、常に身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす時間なんですね。
奥様や娘様達が、たかよしさんがそういう仏の食事を求めているのを理解している、それに納得しているなら、私は余計な意見を出したと反省します。
ごめんなさい。

家庭によって食事の時間の価値観は違いますよね。

私の母は、祖父が食事は黙ってたべろと言われて育って、一切会話せずに食べたそうで、それが嫌だから我が家は会話したければ、しながら食べています。

ちなみに去年の話ですが、猛暑の夏の六連休に東京の姪と姉と3人で東京ディズニーリゾートへ行きましたが、その時にあるアトラクションが80分待ちでした。
私は姪とディズニーの話題で楽しく会話しながら待ちましたが、姉は突然自分の娘に、80分は何時間何分?そして、時計をみて今から何分後に乗れる?と、待つ楽しさを壊しました。

私はそんな非常識な姉の行動に頭にきて、姉に「お前はディズニーランドには何をしに来た」と問いました。
なぜなら、ディズニーリゾートは、ディズニーの空間を楽しむ場ですから。
普段どこでもできる勉強をする場では無いですから、そんな勉強はディズニーリゾート内では必要ないのです。
そのディズニーの価値観は私は大切にしています。

姉の回答は、楽しむ時もあれば、何かをきっかけに普段の学校の内容の勉強をさせる場だ!と意見の違いで、そこで口喧嘩になりました。

私は学校の勉強は学校や塾、家で勉強させろ!
楽しむときはそんなのを忘れて楽しめが、私の価値観です。

長くなりました。
ごめんなさい。
by: kazun * 2016/05/01 09:04 * URL [ 編集] | TOP↑
SBさんへ
コメントの返信ありがとうございます。
これから仕事なので帰宅以降にまたは、休みの明日に返信を打ち込みします。
by: kazun * 2016/04/28 10:54 * URL [ 編集] | TOP↑

おはようございます☆

コメント、有難うございます。こちらでは久しぶりになりますねぇ。

楽しい食事を楽しむという心は煩悩です。煩悩とは1500種類あります。それらを代表する心の三毒が[貪瞋痴(とん・じん・ち)]です。
貪とは必要以上に欲しがる心ですね。人の欲は満たせません。もっと欲しい、人の者も欲しくなる。やがてそのために罪を犯す者もおりますね。

瞋とは怒りの心です。妬み、悲しみ、悩みなども怒りです。怒りには自分への怒り、自分以外への怒りの二種類があります。
自分への怒りとは「自分が悪いんだ、自分はダメな人間だ」といって落ち込む事です。世の中に悲観して自害する者は、自己蔑視(じこべっし)の果てに起こす、自己破壊行為です。
原因は親です。「俺が食わせているんだ」「お前のために休みを取った」といった、押しつけがましい高慢な親に育てられると、子供の人格は破壊されます。
こんな親は悪気はないんです。自分はいたって可愛がっているつもりなんですね。だって自分もそんな親に育てられた訳ですから気付きません。社会が面白くないのですから、家族という小さな社会の中で官軍のように威張り散らし、自分の不満を消化しようとするのです。
やがてその子供は「自分はダメな人間だ」という思いを植え付けられます。いわば親の奴隷に成り下がるわけですが、本人は「なんて良い家族だ」とさえ思っています。やがて大人になりますが、心はいつまで経っても親離れできません。また親は自分を敬ってくれる子供の独立を許しません。「お前は俺の奴隷だ」と無意識的に執着しているのです。いい大人になった子供も親に執着しておりますので、離れることができません。
犬や猫を可愛がるのと大して変わらない手段で子供を育てていると、やがて自分の子供に殺される場合もございます。なぜ子供は親を殺したのか。それは、自分が親から離れるには、こうする他なかったのです。奴隷が解放されるには、主人を殺す他ないと勘違いしたのですね。

この場合、親と対立し戦う、場合によっては縁を切るが正解です。

自分以外への怒りとは、怒りの矛先が外側に向いていることです。
「自分の生活が苦しいのは社会のせいだ。政治が悪いからだ」「今朝寝坊したのは目覚ましが悪いからだ」といった人々です。「自分が苦しいのは」つまり「自分は正しい」と勘違いしている者です。
テロや戦争も「自分は正しい」という勘違いから起こっております。どちらもみんな「正義」と真実を置き換えて、社会の為に、国の為に、人の為に戦っていると信じております。

「正しい」は時と場合、そのおかれた状況、立場によって変わるものです。厳密に正しいはあり得ないのです。何よりもこの問題は、「自分は正しい」自分は完成されている大人だと勘違いしていますので、心を成長させようとは夢にも思っておりません。

貪瞋痴の痴(ち)とは、真理に対する無知です。胸に荒れ狂う蛇を抱きながら、感情的に生きる事です。怒り放題怒り、限りなくものを欲しがり、時には人のモノを盗り、保身の為に人を裏切り、オレは死にたくないが、あいつには死んでほしい、と思うことです。

こういう生き方は、結局本人が苦しいんです。世の中が楽しくないのです。

さて、娘の話に戻りましょう☆
私は今回、この娘の行為に貪(とん)を見出したのです。貪(むさぼ)りですね。自分は、大人の手の平よりも大きなトンカツ一枚を持っておりまがら、その晩、私の唯一のオカズ、小さなミートボール5つのうち一つを「ちょうだい」と申し出たのです。私は構いませんが「お前は平気なのかい?」と疑問が起こった訳ですね。
もちろん、子供だからいいではないか!でも済まされます。しかしそれは、相手が犬や猫なら構わない、といったお話しです。また私が娘たちを犬や猫を飼っているつもりで育てているのなら。「大きくなりなさい」と言うでしょう。

しかし娘はこの後大人になります。自分が持っている余分なモノを人に分け与えるのは大切な行為なのです。自分のモノを充分に持っていながら、ミートボールという私のささやかなオカズを頂こうとした心が、貪りだなぁと私に彼女を諭す好機を与えたのです。

また私の一番の目的は、彼女に「カツ一切れとミートボール一つを交換するのは不公平だ」と認めさせることです。しかし娘は「じゃ、もう一つ」と私の皿から二つ目のミートボールを取りました。私の皿のミートボールは3つになりました。「不公平だと思ったんだろう?」と私が彼女に訊ねたのはこういう訳です。

しかし娘は「いや、私はミートボールが好きだから」とごまかしました。
感情を変化して納得したつもりになっても、それは一時しのぎのまやかしに過ぎません。心は成長しないのです。不公平だという気持ちは怒りです。怒りはきちんと認めなくては心は汚れるのです。将来、自分の欲を満たす為なら、人の旦那を盗っても「見つからなければ構わない」といった、愚鈍な人間に成り下がります。何よりも、本人が人生をつまらない、と感じ始めるのです。

私は結局いただいたトンカツの切れ端は、たんに食べたくないものでしたので、娘に返す結果となっております。私は言葉のタイミングを厳選しますので、その時しか言っても分からないと分かっていたのです。

娘の心が将来、少しでも不安なく世を渡れるよう調整してあげる、というのは親の唯一の役割です。瞬間的な食事の穏やかな時間の維持など私には、あまりにも矮小な出来事であり、問題にもならないのです。明日もおいしく晩飯を頂けるように心を調整してあげる事が、父親となった私の役割なのです。「今がよければ」はまやかしです。

普段子供たちを叱るのは嫁の仕事となっており、「まぁまぁいいじゃないか」と受け止めるのが私の役割です(笑)
ただ時折、私は心の仕組みを説いています。泣いていれば、
「悲しいという気持ちってなんだろうね。それは怒っているという気持ちだよ。君は怒っているんだ」
と教えてあげます。あぁ、そうなんだ。と理解すれば、悲しみも和らぐのです。自分の怒りを冷静に観察しなさい、と教えます。悲しい、は答えではないのです。悲しみの底にあるのは怒りと知るのは大切なことなのです。

心を育てるという努力に歳は関係ありません。死ぬ寸前にも、人は心を成長させられるし、また、成長させなくてはなりません。なぜか、

人は死ぬ時、この身体、名誉、財産をすべて地球においてゆきます。手放す運命にあるのです。死ぬ時に人が持ってゆけるもの、それは心だけです。

人は苦労するものだ、人生が苦しいのは宿命だ、というのは無知だからです。勘違いです。無知とはバカという意味ではございません。貪瞋痴(とんじんち)の痴という意味です。
人は毎日を朗らかに明るく過ごさなくてはなりません。貪瞋痴に蝕まれている状態では、まず不可能です。

人が悲しんでいようが楽しんでいようが、世の中には関係のないはなしです。苦しみに地面をのたうち回っていようが、草花は変わらずそよ風に揺れているし、川のせせらぎは変わりません。

あれ、悩むなんてアホらしいな…、と気付ければいいのです。

心のこもったコメント、有難うございました。私も出来るだけ心をこめて書かせていただきました。ありがとうございました☆またコメントお待ちいたしております。



by: SBJoker * 2016/04/27 08:19 * URL [ 編集] | TOP↑
追伸
親から子への教育や愛情の気持ちを注ぐタイミングが、親それぞれ一人一人違うのを理解しています。

ちなみに私はSBさんの娘様達と同じ年頃に、親から食事の際に、同じものや別のものを食べている最中に両親から、箸を付けていない両親の食べ物を与えられました。
私は両親にも栄養を付けて欲しい、病気になってほしくないから最初は貰うのを断りましたが、後に貰いました。
その理由は両親からはこう言われたからです。
育ち盛りの今の時に栄養を付けないと心や体中が成長しないし、我々大人は心や体はすでに完全に育っていて、逆に食べても食べても心や体は成長しないし、子供と同じ量を食べるのは食べす過ぎて逆に病気を招くし、60過ぎたら棺桶を待つのみだからから、これからの日本を背負う子供達が、好きなものを食べたい時に食べずに栄養をつけずに、弱っていたらどうする?と言われて、答えは返せませんでしたが、両親の食べ物を貰う意味や愛情を受け止めました。

熊本地震直後での避難所での配給や食事中の映像で、支給された食べ物を20代か30代の親が親自身の配給分のほとんどを子に与えていたシーンを見て涙が出ました。

これこそが親の役目なんだと同時に、子供が二十歳になるまでは、親も生きなきゃいけないよと、その親に言いたくなるほど涙が出ました。
by: kazun * 2016/04/26 23:59 * URL [ 編集] | TOP↑

人それぞれ価値観や考えが違うのを理解して、私のこの日記の感想を打たせていただきます。

奥様や娘様たちが楽しく食べたい食事の時間に、SBさんの娘様への、後の為への教育をしたい気持ちは理解できますが、奥様や娘様たち女性陣の楽しい食事の雰囲気を壊さないでほしいのを気付いて欲しかったなぁと、私は思います。

男の私が言うのは変ですが、過去の経験上から、女性は男よりグルメの時間を楽しみたい、どれよりもグルメ時間を大事にしたい気持ちが強いんですよ‼

奥様がSBさんに注意した「食べている際に泣かさないでよ」の意味は、私達女性3人の楽しい、幸せを感じるグルメの時間を壊さないでほしいという意味です。

我々男らは家族のために仕事で忙しい男、時間や心に余裕がありグルメ通の男など、人によって食事への価値観が違うと思います。

私みたいな遅く出勤して今帰ってくるような時間に、心に余裕がない人は、私がそうだからたぶん誰もが食事は腹の足しにするだけの時間なんですが、未婚既婚問わずグルメ通男は、私とは違って、食事の時間は好きな食べ物や興味をもった食べ物を味わう、一日の中での唯一の楽しみの時間です。

SBさんは前者と後者どちらですか?
そして、年下なのに生意気な意見を出してごめんなさい。
もし、女性陣の朝昼晩のグルメを大事にしている気持ちを理解していたら、生意気な意見で本当にごめんなさい。
by: kazun * 2016/04/26 23:23 * URL [ 編集] | TOP↑

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


| ホーム |
Page Top↑
▲ Page Top