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R姫へ

本日は、「全て」を簡単に説きます。
お釈迦様は仰います。「この世は全て幻想です」
これが、全てです。これは、この世の、貴方の人生の正体であり、全てに対する答えであります。

愛する人、子供、過去、未来への希望。
これらはすべて、気のせいであります。

人間には、自分の見たいものしか見えません。

無礼な腹立たしいアイツ、自分の輝かしい過去。悲惨な思い出、大切な友人、恩人。自信に溢れた自分、意気消沈して落ち込む自分。
うらやましい相手、自分をうらやむ人、思い通りに事が進まない苛立ち。

これらは悉く、自分が望んで見ている、また、現実であると思い込もうとわざわざ努力して見ている、幻です。

この世には何もございません。憎しみも悲しみも、喜びも誉も、何一つございません。この世には、実は何もないのです。存在するのは、貴方の勘違いだけであります。

あるのは、存在すると言えるのは、言い換えれば起こっていることとは、貴方を構成している素粒子の運動だけであります。

この事に気付く事。このために我々は人間として生まれてきました。

そもそも存在しないものを求めている。これが、人間の苦しみの根本にある原因です。我々は、素粒子の運動に過ぎません。今、確かに求めている筈の、相手、物、現象とは、本来ないものであり、たとえ手に入ったという喜びも、勘違いでしかございません。

喜びも悲しみも、素粒子の運動に過ぎません。

我々の、最も大きな問題とは、物事に動揺してしまう、尤も、腹を立ててしまうという現実であります。

どうして、我々は、相手に腹を立てるのでしょう。理由は一つだけであります。自分が尊重されていない、という、自分本位の差別意識にあります。

この世は、今も昔も、差別で成立しております。自分が他よりも優位に立ちたい、という欲望だけで成り立っております。動機がそもそも間違っているがゆえ、答えには行き着かないのであります。何に対する答えでしょう。
「幸せになるには?」という質問にたいする答えであります。

どうして、人は人を差別するのでしょう。どうして貴方には、好き嫌いがあるのでしょう。あいつが嫌い、この人は好き、この差別の根源には何がございますか?

これは、貴方がこれまで生きてきた過程において、嘘を教えられてきたからです。尤も、親が貴方にそうなるよう、教育してきたのです。親にも親がおります。親は自分が教えらた事を、子供に教えます。親は純粋に子供の事を心配しており、でたらめを教えている自覚は微塵もございません。
貴方はそれらを鵜呑みにして、これまで過ごしてきました。なぜですか?

すべての答えは「自分が生き残るため」に行き着きます。

異性に振られて悲しい、なぜですか?
親しい人が急死して悲しい、なぜですか?
車の割り込みに腹が立った。なぜでしょう。

この世には八つの苦しみがございます。生きる事、病気になること、老いること、死ぬこと(死に対する恐怖)
愛する人とも、いつかは別れなければならない苦しみ、嫌な相手とも付き合わなければならない苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、この弱くて重い身体を持って生きていかねばならない苦しみ。

これらの苦しみを作っている根本に「私は死にたくない」という生存欲があるのです。

私はもう充分だ、という生き方を毎日するべきです。それには、人の為に生きることを心掛けるのです。
無明なる人間はこう聞くと、人の奴隷になることである、と勘違いします。逆であります。

貴方が人にされたい事を、人にたいしてしてあげる。

街角にゴミが落ちていたら、
「捨てた奴の責任である」ではなく、これを片付けると、人が気持ちよく歩けるだろう、と気付くことです。すべてを、他力本願ではなく、自分の責任で世の中を眺めるのです。

悟りの世界とはどういう世界でしょう。説明は簡単です。

ゲームの中の登場人物として、この世を生きるのです。GTAなど、オープンワールドゲームをしている人には、簡単に想像できます。ゲームの中でプレイしている貴方は、まさに悟りをひらいて、そのゲームの世界にいます。

ゲームと現実は違いますか?

何を仰っているのですか?あなたのご覧になっているこの世の中は、ただの電気信号に過ぎません。この世界の中心にいるのは、貴方であり、あなた以外の人やモノや現象は、すべて貴方が見たいと、いちいち選択して、慎重に見ている幻想です。

この世にも、あなた自身にも価値はございません。自分には価値がある、自分は人より優れている。こう思い込む人から順番に、地獄をみるので。

この世がつまらない、地獄だ。それは、貴方がそう思いたくて、いちいちそういう現実をみているにすぎません。

同じ現象にあたり、どう感じるかは、貴方が自分で決めることです。これまで、貴方は、何もかも自分で選んで、ここまで来ているのです。これからもそうです。

何を見るかは自分で自由に決められます。これまでもそうでしたし、これからもそうです。

答えのない事を考えない。分かってはいますが難しい時の、考えないという方法はひとつ、自分の呼吸だけを追い掛けるのです。次々に現われる考えには「幻想」あるいは「妄想」と答えを出してあげましょう。その考えは消えます。
そもそも答えのない事を考えているのだから、妄想が膨らみ、心が暗くなるのは当たり前であります。

「生きる事が楽しい」「腹が立たない」これが正常なココロです。
「苦しい」「死にたい」「あいつを殺したい」これは考えるという原因から起こる結果であります。

「考える」これは、地獄への招待状に、サインしている事と同じことです。






2017 11 17

埼玉に住む、小学六年生の女の子が自殺したというニュースに、胸が痛みます。

自殺を仄めかしている知人、友人には、こう教えてあげてください。身体を壊せば楽になれる、というのは大変な勘違いです。
自害をすれば、人間には想像もできない苦しい場所に行くのです。

どんな場所か、少しお教えいたしましょう。なんにも無いのです。苦しみはありませんが、楽しみもないのです。もう肉体が無いので、修行することもできません。困ったことに、ここから抜け出せないのです。ここでは、かつて自分を自殺に追いやった憎いあいつが、どんなに愛おしいかと思い知らされます。相手は自分を試していたのです。すべて、自分が望んだことですから。

人間と呼ばれていた頃の自分の血の気のない身体を見下ろし、全てを思い出します。そしてすぐに気付きます。「しまった!」と。
すべては自分の受け止め方が悪かっただけなんだと、納得します。かつて、天界にいた時分に、自分の弱さを克服せんと、人界に生まれました。まんまと、修行に失敗したと気付くのです。

ではどう生きればいいんだ、と相手は貴方に詰め寄るでしょう。

貴方は静かに、優しくこう言ってあげてください。君は人間を、人生を特別なものだと感じています。それは妄想です。息を吸ってください。ゆっくり、まだまだ、ずっとです。さて、苦しくなってきたでしょう。それでは息を吐いてください。ずっとです。さて、苦しくなってきたでしょう。ごらんの通り、人とはただ、苦しみから苦しみへと逃れているに過ぎません。

ただそれだけの存在です。

他に何かございますか?

周りはどんどん結婚しているのに、自分だけ独身なのはおかしい。そうですか…。おかしいですね。結婚が幸せだなんて、いったい誰に聞いたんですか?
大きな家が欲しいのに手に入らない。そうですか…。妙ですね。大きな家って、何かの役に立つんですか?
友人がいない?そうですか。ところで、あなたはそのユウジンと何をなさるおつもりですか?


母親を憎むなかれ

おはようございます☆

世間では実に様々な事件が起きておりますね。どれもこれも、勝手に大きくなる身体を持て余した、子供の仕業であります。まさに欲と怒りの奏でるセレナーデといったところでしょうか。
人間は蚊や犬や家畜と違って優れている、といった傲慢な勘違いが「自殺したい」だの「誰でもいいから殺したい」だのと、あれこれ妄想を抱くのです。自身の肉体に執着しすぎているのです。

死は終わり、という勘違いも、自分が可愛いからこそ起こる妄想であります。「死にたくない」は生命に備わった当たり前の本能ではございません。ただの妄想です。
人間の手から逃れようと逃げ回る虫が不思議ですか?彼らにも妄想はあります。
よーく、ご自分の記憶を辿ってみてください。今の身体では経験していない感覚が、時々呼び起こされるでしょう。

複数人の生命を殺めた彼を、救う手段はもうございません。一つだけありますが、それは悟りを開き、阿羅漢(あらかん)になることです。しかし、若くして死罪に問われるであろう彼には、もう時間がございません。尤も精神的に貧弱な彼には無理です。不可能ではございません。何万年、何千万年と掛かりますが、また運良く人間に生まれてきた時、その時こそは、生まれてきた訳を思い出し、修行に励んでほしいと思います。

ちなみに昔、お釈迦様の弟子に千人殺しの殺人者がおりました。正確には999人ですが、このままでは彼は自分の母親をも殺しかねないと考えたお釈迦様は、彼の住む森へと一人で入って行きまして、彼を改心させるという実話であります。

結果、弟子となった彼はやがて阿羅漢になり、全ての罪を消し去ったのであります。ただここで、もし彼が母親を殺していたら、お釈迦様にも救えなかったのです。

自殺と母親を殺すことだけはNGですので、心の端にでも覚えておいてください。これらをやると、もう二度と修行ができません。いつか、たとえ時間が掛かっても地獄から出られるのは、これらに手を染めなかった生命です。
ビッグバンで生まれたといわれるこの宇宙に我々は生まれました。お釈迦様によりますと、生命がいるのはこの地球だけなんだそうです。宇宙自体、無限にあるのです。たまたま生命を育む役割をもったこの宇宙に、人間として生まれて来れた幸運を持った我々であります。地獄から抜け出せないなんて、もったいないお話です。

宗派によっては、父親を殺してはならない、とも言っておりますが、お釈迦様はそのような妄想事はお話になっておられません。これは少し難しいので、言及を控えたいところではございますが、もし母親がゲイであったなら、尤も、その子が男の親を父親としてではなく、母親として慕っているのなら、彼は父親ではなく、母親です。だから、彼を殺せばその子は無限地獄に堕ちます。
母親は自分を生んでくれたから大事、とはただの妄想です。そうではございません。

もし貴方が今、殺したいほど母親を憎んでいるのなら、悪い事は言いません。母親から離れて、二度と会わないことをお勧めいたします。

つまり、複数人を殺してパッキンも付いていないレジャーボックスに切り刻んだ首を入れておいた彼よりも、実は自殺したがっていた被害者たちの方が、悪い場所へ行くことになりました。というお話です。

生命は無明では大変危険です。心を常に観察し、怒りを持たないように、修行を続けてくだされ。



こんにちは

相変わらず、貪瞋痴の毒に侵された、おおよそ人間の仕業とは思えない事件が起こっておりますね。
「いってきます」と元気に家を出た娘の変わり果てた姿を、想像もしていなかった父親の無念を思うと、心が痛みます。

ご両親には元気を出してほしいですね。このご両親が亡くなった時、迎えに来るのは娘です。身体は失いましたが、娘さんの生命は生きております。ご両親には、犯人を恨まないでいてほしいというのが、私の本音です。怒りで心を乱せば、犯人と同じ場所に落ちてしまうからです。

今回容疑者として逮捕された男性ですが、尤も、死刑判決が下ります。首を吊った後、彼は地獄にて、2000万年鬼に追われる事になります。その重い生命は500万回連続で地獄に出現するのです。その後、ダニやらミジンコやら、牛やら蛇を経て、運が良ければ、人間として生まれ変わり、修行を積むチャンスを与えられます。

絞首刑の間際、「母ちゃん、今行くから待っとれよ!」と言った殺人犯がおりました。これは、もう不可能です。母には会えません。この方の向かう場所は、この方が見たくないおぞましいモノに溢れた場所です。だから、生命を殺めてはなりません。中道において、実践できる範囲で、生命に対する慈しみを持っていてください。

人間が犬や猫よりも優れている、というのはただの勘違いです。道端で見かけた犬は、かつて人間だった時、貴方より優れた精神を持っていたことも大いにありうるのですから。この宇宙におきまして、生命は例外なく、等しく平等です。中道というのは、怠け過ぎず、頑張り過ぎず、という、お釈迦様の発見された生き方です。
殺したところで、苦しむのは被害者ではないのです。本人なんですから。人間の不確かな感覚で時間を捉えてはなりません。生命としてのあなたの、今の人間としての姿は、ほんの一瞬にも満たない、儚いものです。

心を乱しなさんな。動揺させなさんな。という事です。死後、幸せになりましょうという宗教は、ペテンです。今、この瞬間に幸せになりましょうというのが、お釈迦様の本来の教えです。

勘違いしてはなりません。今、日本に伝わってきている仏教は、お釈迦様の教えとは何の関係もありませんので、覚えておいてください。
私の曽祖父は住職でしたから、叱られるかもしれませんが、間違っています。

キリスト教でも何教でも、構わないのです。欲張らず、怒らず、嘘をつかない生き方こそ、賢者への道です。

賢者でなければ、いつまで経っても輪廻において生命を繰り返すだけです。

えーとですね、ユナイテッド航空の乗客引きずり下ろし騒動、これも白人こそ優れているといった勘違いから起こったものです。
北朝鮮の怒るのも、正論ではあるのです。仲良くできない理由は、どこにござるか分かりますね?

ここは腐った世の中ですか? いいえ、誰か、この世にまともな現象をご覧になったことがございますでしょうか。

だから、他はどうでもいいのです。自分の心を正してください。何もかも跳ね返す鏡になる努力こそ、悟りへの唯一の道です。

さぁ、最後になりましたが、今月23日は「パン屋スタック(仮)」の撮影でございます。

出演料が多いため、すみませんが3,500円にて販売させていただきたく存じます。





寒いですね。

北海道にお住まいの方々に笑われるとは思いますが、九州も寒いです。

今朝は片側一車線の県道でトラックが横転しており、大渋滞でした。どうやらアイスバーンでひっくり返ったみたいです。トラックもバスも強力なエアブレーキですので、タイヤがロックしたらこうなります。私のバスは一本隣の系統でしたので、直接見ておりませんが、迂回せんと、横道からどんどん私のバスの前にウチのバスが入って来るので「どうなってんだいコレ!?」と多少驚きはしました。

私の乏しい気配から、だいたいお察しの通り、無茶苦茶忙しいです。今日は昼上がりで穏やかですが、明日の公休は8日の勤務と振り替えましたので、出勤です。まぁ、明後日は休みですけどね☆

8日は嫁(堤姫)のお義父さんの一周忌でした。もう一年経ったのですね。あれ、このお話はしましたかね。忘れましたが、まぁいい死に方でした。すい臓がんでした。新潟の造船所で船を造っておりまして、去年の年末に帰ってきて、腹が痛いと言って苦しむ間もなく亡くなりました。
「〇〇子の相手が、ほんまにあんたで良かった思うとるんよ」と言ってくれたお義父さんを思い出します。
「私も〇〇子さんを産んでくれたお義父さんに、心から感謝しております」私はこう応えました。実際にそう思います(笑)

嫁のお母さんは、幼い時分に蒸発しており、たったひとりの肉親であったお義父さんの死を悲しんでおりました。「誰もいなくなっちゃった」と泣いていたのを思い出します。

私はこう言いました。「死はお別れじゃない。肉体はいつか地球にお返しする消耗品に過ぎない。君もそうだし、僕もそうだ。ただ、君が死んだ時、トンネルの先で待っているのはお義父さんとおばあちゃんだよ。適当でいい加減で構わないんだよ。しっかり君という人間を、最期まで生きぬきなさい。死はサヨナラではなく、行ってらっしゃいが正しいんだよ。君も後から行く場所であることを忘れてはならない」

私はなぐさめたのではなく、事実を淡々と語ったのです。

皆さんもそうです。愛する人との別れ(愛別離苦-あいべつりく)は人の持つ、八つの苦しみの一つです。しかし人は死ぬものです。寒くなっても悲しまないのに、愛する人の死には嘆き悲しむ。これは可笑しな話です。
その涙は、その人に、まだしてもらいたいことがあったのに!といった自分勝手な怒りです。そう思って、これからは人の死を観察してみてください。「あ…」と気付くことがあることでしょう。亡くなった人は、淡々と送り出してあげるのが当たり前だと分かっておいてください。

時折、我が子を失うこともあります。この悲しみは当然のようですが、安心してください。子供は心が綺麗ですので、幼ければそれだけ天界に生まれ変わります。ほぼ、子供というのは天界に生まれ変わるのです。ただ、天界も六道輪廻の頂点に過ぎません。下から地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界、とありますが、所詮は存在の世界、苦しみの世界です。ただ、人間界よりは苦しみの程度も穏やかです。生命の大義名分は「悟り」です。人が悟りを開くには、神々の世界では難しく、それゆえ自分で選んで人間界へとおりてくるのです。それが我々です。

神々とは天界におられます生命ですが、お釈迦様の下です。お釈迦様は輪廻から解脱されておられます。時々「我はお釈迦様の生まれ変わりである」と仰る新興宗教の教祖様などもおられますが、お釈迦様はもう輪廻されておりません。お釈迦様は生まれ変わらないということを忘れてはなりません。
なぜ輪廻するのか、それは生命にたいする執着です。だから皆さん、もう死んでもいい、という人生を送るよう工夫して過ごしてください。もう人間はいいや!これで充分! 彼らは天界、あるいは悟りを開きます。

次回、悟りについて間違いだらけの情報が溢れておりますこのIT時代。私が、方法をお教えいたします。

あら、時間がまだありますので、今教えます。

今皆さんが幼稚園に行き、園児さんたちの相手をする必要がでてきて、実に履行するとき、貴方はどんな表情で、どんな言葉で接しますか?世の中ではその態度で過ごしてください。

いいですか?この世に大人はほぼおりません。勝手に大きくなった体を持て余した子供だらけです。白髪だからと尊敬に値する人格者であると勘違いしてはいけません。いいです?私のいう事を理解できている貴方は、相当に大人です。あなた方が上に立って、世の中を優しく眺めてあげてください。そして、時々スタック動画で楽しんでください。

世の中で苦しみ、挙句の果てに鬱にまでなる人は、結局、子供である自分が大人の世界に殴り込みをかけてやろうと、肩を怒らせて勝手に失望して動けなくなった、愚か者なのです。

貴方が苦しまにゃならん事など、本当にこの世にあると思いますか?

欲しいという人がいれば、あげてください。他人を良い気持ちにさせてあげてください。この世に瞬間でも止まってるものなど無い、ということをちゃんと理解してください。これが賢者への道です。


この世にあるのは、利益、損失、名誉、誹謗、賞賛、非難、苦、楽これだけです。人間など、まさに校庭のアリです。校庭の外にも世界はあるのです。我々には分かりますが、アリには理解できない。お釈迦様には分かりますが、我々には理解できない。これが宇宙です。

こんなくだらない小さな事に、いちいちこだわりまさんな、ということです。拘ったって拘らなくたって、人生は同じです。結局死ぬのです。今、心に怒りが無く、目の前が楽しけりゃ充分です。明日の事など、「知るか」が正解です。





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